学生時代の友人が亡くなりました。
再発して、入院して、1か月半で逝ってしまいました。
大学卒業後、会ったのは、卒業直後に数回。
卒業後に会ったのは、全部で10回にも満たないけれど、
ずうっとずうっと、年賀状や暑中見舞いだけのお付き合いだったけれど、
私の退職後、時間が作れたこともあって、
20代から60代にワープして、
30年以上会っていないなんて嘘みたいね、って言いながら、
ここ3年で、5回かな、会っておしゃべりしたのは。
入院して、心細かったのだろう、彼女は、
彼女にとっていちばん親しい友人ではない私に、
入院したから会いに来てって、メールをしてくれた。
弱音を吐きたいって、メールをしてきてくれた。
彼女には、もっと親しくしている友人(A)さんがいるのだけれど、
卒業後も、ずっと途切れることなく電話や手紙、
互いの住む町でのランチをしたりしていたそうで、
入院したとの連絡も(A)さんにはあったそうだけど、
どうしたわけか、彼女が入院後に、会いに来てと連絡をしたのは、私だった。
だから、正直、
なぜ私?
私でいいの?
(A)さんじゃなくて?
私に何ができるの?
そんな気持ちもあった。
(A)さんには、お見舞いを控えてほしいと連絡が行ったとその人から知らされた。
だから、一人で、お見舞いに行った。
来てほしいって、言ってくれるので、
毎週、電車を乗り継いで、お見舞いに行った。
気が動転して、電車に乗り間違えたりもして。
学生時代の話や、
ここ3年で行った数回の大人の遠足の話をして。
車いすで、近場に出たりもした。
こんな話をしに行くのでいいのかな。
励ましになってるのかな。
何を求められているのだろう。
そんな気持ちで、お見舞いに行った。
ただ、思い出話をしただけ。
私は、それ以外、なにもできなかった。
ただ、弱っていく彼女と、昔話をしただけだった。
私のお見舞いで、ほんとに励ましになってるのか、疑問だった。
そうか、この状態では(A)さんに会うのは、お互いに重いのかも、とも思ったけれど、
でも、彼女は、私には「(A)さんにも会いたいよ~~」とも言うし。
それなのに(A)さんに、「今は来ないで」ともメールしてるし。
もう、わけがわからなかった。
お医者さんから聞いたと彼女が言っていたより、
数倍、体調が悪くなっていくのが早かった。
回復するはずだったのに。
多分彼女の心づもりでは、元気になったら(A)さんに来てもらうはずだったのに。
「また来るからね」って帰ってきたその晩、彼女は逝ってしまった。
あまりかんばしくない状況だったので、その日の夜、
「会いたいんでしょ、会いたいなら、行けばいいじゃん、一緒に行くよ。
話せるうちに会いたいんでしょ。
わたしは病室に入らないよ、連日行ったら気を回すでしょ。
二人で心おきなく話せばいいんじゃないの」
と(A)さんに電話して、次の日、一緒に病院に行ったけど、もう病室にはいなかった。
毎週、会うたびに、弱っていく様子を見るのがつらかった。
そして、今も、つらい。
胃の中に、大きな重いものが入っているよう。
シャンプーしてトリートメントをし忘れたり、
コーヒーをあたためたまま、レンジの中に一日忘れていたり、
母の病院の時間を間違えたり。
落ち着こうと始めた編み物は、目を落とし放題。
私も今、壊れている。
(A)さんと、お通夜の後に話した。
きっとなんとなく最期ってわかっていて、
楽しい思い出だけを共有しているくれよんに会いたかったんだよ。
楽しい思い出だけ、持って行きたかったんだよ。
だから、たくさんの苦労を知っている私には、来ないでって、言ったんだと思う。
だから、ただ楽しい思い出話をしたくれよんでよかったんだよ、役目は果たしたよ。
そう言ってもらえたけれど。
そうなのかな。
人生の最後に会う友人が、私なんかで、よかったの?
まだ、私の心は、ぐしゃぐしゃだ。
会うのを断られたと電話の向こうで泣いていた、(A)さんも、きっとまだ心がぐしゃぐしゃだ。
逝ってしまった友人。
もう、会えないんだ。
いっしょに花見、できないんだ。
あの、甘えた話し方、もう、聴けないんだ。
ちょこちょこ歩く姿、もう見られないんだ。
もっと、会える時に、元気なときに、時間を作って、いっぱい会えばよかった。
そうしたら、もっと、彼女を理解できただろうに。
ちゃんとした、友人に、なれたろうに。
(いつも以上にまとまらない文章です。加筆訂正もしました)