先日も書いたけれど、
元の仕事場の知人と会った。
夕方からしゃべり始めて、4時間以上、しゃべっていた。
彼女は、まだ現役で働いている。
働いている人は、生き生きしている。
疲れたよ~~と言いながら、充実感にあふれている。
とっても、うらやましかったのが事実。
その疲れは、うらやましいぞ~~って、思った。
彼女は、私の気ままな生活を「いいなあ」と言っていたけれど。
でも、きっと、退職すれば、喪失感みたいなものを感じるのではと思う。
働くということは、社会に参加していること。
自分の居場所が社会にあること。
じゃあ、社会に出て働いていない自分の、社会参加はどうするか。
社会のお役に立っていないのは、人として、いかがなものか。
そう、思ってしまう。
自分の家族や友人のお役には立っていると思う。
でも、それって社会参加じゃないよね。
それでもいいのかな。
テレビで、働くということが議論されていた。
人は、働くのが当たり前。
働けるのに働かないのは、怠け者。
そんな感じだった。
妥当な意見だね。ごもっとも。
定年まで働いて、退職した人たちは、
私のように年金生活者は、
どうやって社会参加しているんだろう。
どうやって、自分の存在価値を確認しているのだろう。
他の人のブログを読ませてもらっても、
よくわからない。
社会参加しなくて、
まだ、働けば働けるカラダなのに、
趣味に生きていていいのかなあと思う。
毎日、好き勝手に暮らしている。
もちろん、基本的な家事などはするけど。
市役所に行ったり、家庭事務をしたりもするけれど。
でも、
読書したり、散歩したり。
(読書は、働いているときから、かなりしていたけど)
たまに預かる1歳半児と遊んだり。
(最近は、遊んでもらってるのか?)
手芸をしたり、断捨離したり。
(終活の意味も少しある)
昭和ヒトケタのお付き合いをしたり、医者に連れて行ったり。
友人との旧交を温めたり、ライブに行ったり。
こんな、世の中の役立たずでいいのか。
いいわけが、ない。
しかし、
いつまでも働いていて、
若い人に職場を明け渡さないのもなあ、とも思う。
定年まで働いたから、もう自由にしていいんだよ、
という声も聞こえる。
退職して、もう一年たつのに、
まだ、私の気もちは、ざわざわと揺れている。
仕事に満足して、やり残したことはないと思ったのにな。
燃え尽きてやめたと思っていたのになあ。
きっぱり、かっこよくやめたと思ったのにな。
ボランティアをさせてもらっている。
自分なりの社会参加と思って。
でも、それって、動機が不純なのではないか。
まるっきり、自分のためだもの。
ボランティアをさせてもらってるって、
声高に言うのは、恥ずかしいことだと思う。
(させていただく、という言い方は、昔から好きじゃなかった。
でも、なんだか、この言葉、使っちゃってるな、今。)
こんな奴に、ボランティア、してほしくないだろうな。
などといろいろ考えてしまう。
私は、今、自分がどうしたいのかが、よくわからない。
還暦過ぎて、いい大人なのに、
生き方をこんなに迷っている人って
いるんだろうか。
自分の生き方を肯定できないままでは、これから先も、
心からの笑顔が出せないかもしれない。
「それで、いいんだよ」
という言葉を、誰かからかけてもらいたいのだろうか。
いいや、違う。
「それで、今の状態で、いいんだよ」
という言葉は、すでに、周りの人からは貰っているもの。
自分が自分に
「それでいいんだよ」
って言えなくちゃだめ。
自己肯定感がこんなに低くなっているのは、
どうしてなんだろう。
ここまで書いたのを読み返しても、
何がいいたいのか、
よくわからない。
書いてる本人がわからなければ、
読んでくださっている方には、
もっとわからない。
すみません、駄文を書き散らして。
そういえば、どこかに、
( )や、アンダーラインや、太字などが多用されている文章はへたくそだって、書いてあったっけ。
今回、( )が多いな。
以前も似たようなことを書いたような気もするし、
また、同じようなことを書くような気もする。
要するに、暇だからこんなこと書いてられるのよ。
って言われてる気がする。
苦労のない人だから、こんなこと言ってられるのよ。
って言われてる気がする。
(実際は、人に言いいたくない苦労がいくつかあるけど、書かない)
今日の、「世迷い言」を、最後まで読んでくださったあなたは、
ほんとうに、心の広い、善い人です。
ありがとうございます。
きっと、いいことありますよっ!!
とりあえず、元気出して、今日もがんばります。
★★今日もおいでいただき、ありがとうございます★★
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