茶の間でおしゃべり

日々あれこれ思うことを書いています。気ままなおしゃべりを聞いてください。体調不良のときもあるけれど、それなりに自分のペースで生活したいと思っています。

あのころは、上司の優しさがわからなかった

春。

新しい職場で、新人が、頑張っている春。

 

遠い昔、私も新人だった。

あたりまえである。

 

あるとき、私のところにクレームが入った。

びっくりである。

私に落ち度はない。

濡れ衣に近い。

私ではないだろう、怒りの矛先。

でも、まあ、相手方にはこちらの内情はわからないから、

後で考えると、私あてのクレームになっても

仕方なかったのかもしれない。

でも、当時の私は、納得できなかった。

 

「お詫びに行きなさい」

と責任者は言う。

 

私は、嫌だった。

私がしでかしたことでなくて、

どうして私が詫びなくてはいけないのか。

新人の私は、学生気分が抜けていなくて、

「自分が悪くないのに詫びる」

という社会の仕組みが納得できない、

赤ちゃんだったのだ。

 

(ゴメンナサイは、割と素直に言える性格なんだけど、

納得できないことは絶対にしたくないという

めんどくさい性格は、今も変わらないな。)

 

動かぬ私に向かって、

背広に袖を通しながら

私の上司が言う。

 

「一緒に来るだけでいい。

 そばで、黙って、頭下げるだけでいい。

 話は全部、私がするから、一緒に来なさい」

 

今思えば、なんていい上司だったのだろう。

今思えば、なんてかっこいいんだろう。

そのときは、ただのおじさんにしか見えなかった。

そのときは、長いものに巻かれる事なかれ主義のおじさんにしか見えなかった。

そのときは、その優しさもよくわからず、

嫌々ついて行った。

 

相手方に着いた。

上司がお詫びを述べている。

その姿を見て、自然に、私の口から

お詫びの言葉が出た。

 

事は丸く収まり、その後のクレームもなかった。

 

 

 

「申し訳ありませんでした、とか、思ってねえし」という

缶コーヒーのコマーシャルをテレビで見ると、

この出来事を思い起こす。

ものすごく、共感してしまっている。

缶コーヒー、好きじゃないけど、あれ買っちゃおか、

なんて思ってしまうくらい共感しちゃう。

 ………話が逸れた。

 

 

 

あのときの、自分のお子ちゃまだったこと。

上司って大変だったんだなあってこと。

だって、私みたいな役立たずを

かばって育ててくれたんだから。

定年まで働けたのも、

こういう方々の、

たくさんの「お助け」の積み重ねのおかげだ。

私が気が付かないところでも、みんなが育ててくれていたんだろう。

感謝しなければならない方々は、星の数ほどいるんだろう。

私がわかっていないだけで。

そういうことに気が付くのに、数年かかった。

 

今、新人時代の私に会えたら、

言ってやりたい。

「あなたがわかってないだけで、

 あなたのことを思って、

 育ててくれている人たちが

 いるんだよ、たくさん。」

 

いい職場で働けたのだなあと思う。

人に恵まれていたんだなあと思う。

人とのかかわりがへたくそな私が、

いっちょまえに定年まで働けたんだから。

 

 

いつもお邪魔しているブログの方々の最近の記事から、

自分の若き頃を思い出しての本日の書き込みでした。

 

いつもおいでくださり、ありがとうございます。

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