おはようございます。
今朝も掃き出し窓からの風が気持ちよいです。
こんなさわやかな朝が、暑い暑い昼間のスタートとは思えません。
聞こえてくる小鳥の声は、ちょっとがらがら声にちかく、
さわやかさに水を差しますが、
それは勝手にこちらが思ってしまうだけのことで、小鳥に罪はありません。
昨夜干した洗濯物もほぼ乾いています。
朝、忙しくないのは、ありがたいことです。
窓辺には、昨日仕上がった白いシャツブラウスが干してあります。
簡単ソーイングでしたが、着られる服が縫えました。
勝手に、ご満悦。
明日〇〇したい・明日〇〇しなくっちゃ。
こう思えることがあるのは、リタイアアラカンには大切なことだと思います。
できたら、明日〇〇したい、の方が理想的。
でも、〇〇しなくっちゃ、もないといけません。
そして、たまには、今日は何をしようかな~~~という日も必要です。
毎日にように決まった時間に仕事に行っていたころと違うので、
明日の自分との約束があった方が、断然いい。
朝起きて、よし、今日は〇〇するぞ、〇〇ができるぞ、って思えるのがいい。
夜、寝るときに、明日〇〇したいなあ、と思えるときは、調子が良いとき。
誰に必要とされていなくても、自分に必要とされている自分がそこにいます。
自分のための自分の時間。
明日の自分との約束。
明日〇〇したいなあ、と明日を思って布団に入ることは、
精神衛生上、とてもいいことだと実感しています。
こういう一日一日を積み重ねていく毎日。
それが、ていねいな暮らしかなあ。
それが、地に足がついた暮らしかなあ。
それが、自分らしい生き方かなあ。
それが、生きているってことかなあ。
ちょっと大げさでしょうか。
そういえば、仕事で忙しくてもまだ余裕があった頃は、
明日はちょっと遠回りだけど桜の咲くあちらの道を通って駅に行こうとか
明日は〇〇を新しくおろして出かけようとか、
明日は電車でこの文庫本を読もうとか、
ささやかな「明日の楽しみ」を見つけていたような気がします。
退職間際の2,3年は、心身共に疲弊して、そういうこと、できませんでした。
今は、余裕で、
明日〇〇したい・明日〇〇しなくっちゃ。って思える環境に恵まれています。
それを生かさなくちゃね。
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