大学時代の友人Aから、電話があった。
「クレヨンちゃん、Bちゃんから、電話あった?」
私たち3人は、大学の学部のクラスが一緒だった。
卒業後、仕事に夢中になり、病気になり、子育てをし、介護をしと、
まあ3人ともいろいろあって、
年賀状や暑中見舞い、ときどきのメールでの細々とした付き合いが続いていた。
今、アラカンになって、私が退職しAさんの子育ても終わり、
以前より連絡をとりあって、
たまには3人で会うようになっている。
ここ数年は、AさんとBちゃんは、わりと頻繁に電話で話していたらしい。
私には、Bちゃんからの電話は、まだ、ない。
Aさんの話によると、
Bちゃんは、今年の胃健診の再検査で、腫瘍が見つかったという。
毎年職場で検診を受けているはずだから、
今年見つかったってことは、早期発見なのだろう。
これから、治療の方向を相談とのことだ。
Aさんは、私に、Bちゃんに電話してあげてと言う。
Bちゃんは、一人暮らし。
さぞ、心細いだろうと思う。
ご両親もいなくて、きょうだいもいない。
彼女の心の内を想像しただけで、いたたまれなくなる。
心が痛くなる。
でも、私が電話して、何を話せばいいのだろう。
どんな言葉をかけたらいいのだろう。
こんなときの言葉の難しさ。
よかれと思って口から出した言葉が、そのまま彼女にとってのよき言葉とは限らない。
「大丈夫だよ」って励ましになる?無責任になる?
そんなに軽く言わないでって思うかも。
「私の知人も、胃を半分以上とったけど、今、元気に普通に生活しているよ」って、
励ましになる?かえっていらってする?
その人の場合と自分の場合と同じじゃないし、って思うかもしれない。
「私にできることある?」って親切?おためごかし?
「心配されすぎる重さ」は、Bちゃんの負担にしかならないし。
それに、私に電話が来ないってことは、
私には、内緒にしていたいのかもしれない。
(電話がこないことを僻んでいるわけじゃない。)
私に病気のことを話したくないのは、
彼女なりの理由があるんだろうとも思う。
話しにくいのかもしれないし、話たくないのかもしれないし。
話したいけど、伝え方を迷っているのかもしれないし。
それなのに、
「Aさんから聞いたけど」
っていう連絡を入れてもよいものだろうか。
Bちゃんが話したくなったときに、
話してもらえばいいんじゃないか。
いいや、この考えは、私が逃げてるだけ?
ごちゃごちゃと、頭の中で、考えが渦巻いている。
いつもの通りに、考えすぎ?
さっさと、電話すればいい?
最近どうしてる?って。
これが、私だったらどうだろう。
自分の不調を、いろいろな理由で、
知らせたい人と、知らせたくない人がいる。
自分の状態を知らせて、普通に付き合える人もいるし、
病気のことを知らせないで、普通に付き合いたいって思う人もいる。
深刻な話は、相手を選ぶ。タイミングを選ぶ。
Bちゃんは、どうなんだろう。
Aさんに話したら、クレヨンまで知ってしまったということで大丈夫なのか。
Aさんは、優しい。
ものすごく優しい人なんだ。
「クレヨンちゃんに電話がなくても、
Aさんから聞いたよって、電話して、励ましてあげて」
って言う。
そうなのか?
私が、めんどくさいヤツで考えすぎか?
私が、知ったことをBちゃんに知らせていいのか?
ぐるぐると考えが回っているだけで、
結論が出せない。
どうしよう。
どうすべき?
私は、Bちゃんのことを思って、迷っているのか。
ただそういうつらい電話をしたくないという自分のことしか考えていないのか。
それも、
わからない。
こんなとき、ひとはどうするんだろう。
知りたい。
どんな言葉をかけられたら心の支えになったのか、知りたい。
ものすごく、知りたい。
電話があってから、ずっと考えている。
Bちゃんの心の負担になるような行動は、絶対ダメ。
人の気もちになって考えるってことは、こんなにも難しいことなんだ。
頭が悪くて、決断力がなくて、一本の電話もかけられない、情けない友人。
それが、今の私。
いったい、なんのための友人なんだか、わからないじゃない。
多分だけど、
こちらから何かを伝えるのでなく、「Bちゃんの話を聴くこと」だけが私にできることなんだろうな。
Bちゃんの話したいことだけを聴く。
ただ聴く。
Bちゃんの言葉から、Bちゃんの気もちを推し量る。
全身を心にして聴く。
それしかないな。
そうして、Bちゃんがしてほしいなと思っていることがあるか、考える。
この結論でいいかなあ。
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