「ここは、昔はガソリンスタンドだったんだよ」
「この土地はね、○○に住んでいる△△さんの土地だったんだよ」
「ここから3軒、空き家になってしまってね。危ないよねえ」
「ここ、前は八百屋だったね」
そこを通ると必ず母は、これらのことを言う。
少し遠くへ買い物に出かけられるときに歩く道すがら、
もう、何度も何度も聞いた話だ。
今日の午後、暖かかったし母の腰の具合もよいとのことで、
新しい下着でも買いに行こうか、と二人でふらふら歩いて出かけた。
行き先は、量販店。
母は、お手頃価格の下着はここで買うことが多い。
母は、ユ〇〇ロの下着は苦手で、
ぴたっとしない昔ながらのあったか下着がお気に入りなのだ。
年末、モノ整理をして、着古した下着を始末して、新しいのを買おうという意欲があるのは、娘としてうれしいことだ。
前向きだもん。
でも、このお店に行く道中での母の話は、少し、私を落ち込ませる。
また、同じことを言っている。
話したことを忘れてしまうんだろうか。
それとも、確信犯なのかなあ。
天気のあいさつと同じで、あんまり意味を持たない会話の接ぎ穂として、言ってるだけなのか。
適当に相槌を打つ私の暗~~い気もちに気が付かず、話している母。
私もそうなるのだろう。
実際、同じこと、このブログに書いたりしていることもあるしなあ。
同じことを繰り返し話す。
人は、だいだい、みんなそうなるのだろう。
母なんか、米寿にしては、頭も体も元気な方だろうと思う。
同じことの繰り返しができていることが幸せなのかもしれないな。
自分の足で歩いて買い物に行ける母に付き添えるんだもの、いい時間だよなあ。
あと何年、あと何回、いっしょにこの道歩けるのかなあ。
なんて、
年の瀬で気弱になっている私は、そんなこと心の中で思っていた。
家に戻って、3時のおやつは、甘酒とバームクーヘン。
へんな取り合わせだねえ、と言いながらおいしい甘酒を味わった。
母は夕飯までこたつでうとうとするので、私は自室に引き上げてきた。
さて、少し、片付けでもしましょうかね。
今日も普通の日だった。
普通でいられるのがありがたいと思う。
私は、昨日チビの相手をして、風邪を貰ってしまったらしい。
まったくもう。
この喉のいがいがは、
あいつの鼻水とくしゃみのせいだろな~~~。
一日預かったご褒美が、
ありがとうのメールと、風邪と、かわいかった時間か。
ま、いいか。
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