小学生の頃、先生の言うことは、すべて正しいと信じていた。
というのは、嘘で。
大人ってやだな、先生いい加減だな、先生もう少しちゃんとしなよ。
今のは、先生が悪い。○○ちゃんは、悪くない。
なんて、思っていたりもした。
でも、口には出さなかった。
出せなかった。
嫌な子供。
中学の頃、もう、純真な心はなかったので、
授業で教えて貰う教科のことを、学べばよいと思っていた。
信頼できる先生は、一部の先生で。
その先生の言葉は、信用できた。
でも、まあ、だいたいの先生のことは、嫌いじゃなかった。
高校に入る。
真剣な先生と、「でもしか先生」の区別がはっきりつくようになった。
授業力のある先生と、ない先生の区別がつくようになった。
授業で、間違っていたりすると、
気さくな先生には、「せんせ~~い、そこ、違いますよ~~」
って言えた。
偏屈な先生の時には、指摘しない。
だって、気分悪くされると面倒だから。
心のなかで、「先生、勉強不足だよ」なんて思っていたりして。
仕事をしていた時は、仕事だから、上司にも、
「それはちょっと違うんじゃないでしょうか」ってどうどうと言えた。
言ってもしょうがない上司もいたけど、たいていの人には言えた。
さて、今、私は、リタイアした、いいオトナ。
それでも、学習する場面は、たくさんある。
そこで、講師の先生がおっしゃることに、
はてな、が生まれることもある。
聞いて大丈夫か?
今は、引いた方がいいか?
その辺が、読めない。
考えていると、
「あら、また、納得してない顔をしてるのね」
なんて言われちゃう。
納得してないのにしたふり、できないんですよ、私。
他の、賢い大人は、納得しなくても流すんですって。
私と、もひとりのひとだけ、ふいに、納得してない顔をしてしまうらしい。
理解してないんじゃなくて、納得してないんです。
昨日も、納得できないことがひとつあった。
そのことは、私が高校の部活で一生懸命調べたことだから、
私の知識があっていると思う。
でも、講師の先生のおっしゃることが、強い言い方なので、黙った。
黙ってしまった自分が嫌だった。
帰ってきて、昔の書籍やノートを開いて、調べた。
やはり、講師の先生の勘違いだ。
次回、この、証拠の本を、あなたなら、持って行きますか?
「先生、先週の、やはり、こうだったんじゃないでしょうか」
そんなこと言ったら、ただのしつこい、クレーマーもどきか?
昨日の帰り道、
「私もそう思うけどさ、言わない人の方が多いよね」
「先生のいうことが、違うかもって思っても、言えないなあ。黙って聞いている人の方が多いよね」
「あなたと、〇〇さんくらいですよね、言い返しているの」
そんな会話だった。
先生は、とても理知的で、上品で、おしゃれが身についていて。
ユーモアもあって、人の意見も聞いてくれる、
理想の女性です。
カッコいいんです。
だから、私が、先生に言うのをためらっているのは、
尊敬する先生に嫌われたくないからか?
みんなの前で、私の言うことを強く否定してしまった先生の立場を考えちゃうからか?
でも、先生は、多分、そのことをあまり気になさらない。
そうだったのね、よく調べてきてくれたね、で、すませてくれると思う。
太っ腹なんです。
なら、なぜ、ためらうのかなあ。
そうか、
私は、
他の仲間の、私を見る目が、
「あいつ、めんどうなやつ」ってなるのを、一番嫌がっているんだな、って今、わかった。
さて、どうしようかなあ。
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