いつもは夜洗濯をするが、昨夜は疲れていて、洗濯せずに寝てしまった。
朝起きて、朝食後にすぐにスイッチを入れる。
洗濯が終わったのは9時ころだった。
自室であれこれしていて、洗濯機が止まったのが分からなかった。
洗面所に行くと、母が、洗濯物をハンガーにかけていた。
「ありがとう、干してくれているんだ」
「できることは、しようかなって思って」
そう言って母が作業を続けるので、あとは任せた。
「じゃあ、頼むね、よろしく」
「大丈夫よ」
今朝は、早起きしたらしく、朝食も、自分で用意していた母。
レンジがちゃんと使えない母だが「飲み物あたため」と、「ごはんあたため」だけはできる。(手順を書いた紙を貼ってあるから)
自分でココア豆乳をあたためていた。
そのレンジの奥に、干からびた冷凍食品が入っていた。
昨夜、解凍しようと中に入れて、忘れちゃったものだ。
私も、うっかりさんだ。
あらら、これを出さずに、豆乳あたためたのね。
冷凍食品のおかずは、とってもまずいことになっていた。
母はそれには気が付かなかった。
気が付かなかった失敗を、わざわざ自覚させるのは、いかがなものか。
たいした失敗じゃないものは、もう、母には、言わない。
失敗を知らされるたびに、落ち込むのは想像できるから。
トイレの電気つけっぱなしだったよ。
洗面所の扇風機、ついてたよ。
昨日は、茶の間の雨戸が閉まってなかったよ。
トイレ、汚してたぞ。
浴室の外が、水浸しだったよ。
(母は、戸をしっかり閉めないで入浴する)
もう、そういうことは、いちいち言わない。
言わぬが花、だ。
励ましになるかと、
友人の100歳ご両親の明るい惚け話を話してあげたりもする。
そうして、ささやかなありがとうを探す。
「自分で朝食作ってくれたんだ、ありがとう」
「洗濯物たたんでくれて、ありがとう」
「お薬用の水を持ってきてくれて、ありがとう」
「端切れを生かしてくれてありがとう」
(私の布遊びの端切れで、母はお手玉を作っている)
「今朝は、寝坊をさせてくれてありがとう」
等々、優しい気持ちの時には、いっぱい、ささやかなありがとうが見つかる。
口にできる。
ホントのありがとうは、
「こうして生きていてくれて、ありがとう」なんだけど。
言えないゎ。
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