今日は、朝起きて、朝食を少し食べられた。
その後、だらだらっと過ごす。
もう、11時を過ぎてしまった。
お腹に力が入らないと、やる気が出ないなあ。
買い物に行く気も出ないが、食料の買い出しに行かないと。
本日、こちらは曇り空。
でも、OS1飲んで脱水に注意しよう。
もう、こりごりだ。
昨日受けたメールで、びっくり。
元の職場の現役のお二人からのメールなのだが、
一人は土曜日半日起き上がれず、
もう一人は、私と同じく金曜日に点滴打ったって。
けっこう若くても体調崩しているんだなあって思った。
まあ、彼女たちは若いので、回復は早いけど。
さて、本題。
3日前の記事にも、父のことを書いた。
今日も、父の日なので、父のことを書こうと思う。
いっぱい思い出はあるが、
今日は私が可愛かった小学生の頃の思い出を書きたいと思う。
私は、幼稚園の年長組のときに病気にかかり、
入院したり、家で寝ていたりの時期があった。
そのせいで、幼稚園は中退。
小学校に上がるときは、「就学猶予」の連絡が役所から来たそうだ。
つまり、元気になって、来年学校に入学してね、っていうお知らせ。
そうか、病弱だと、そんなお知らせが役所から来ちゃうのか。
父は、それは、避けたいと思ったそうだ。
周りの同年齢の子と、一緒に入学させたいと思ったそうだ。
学校に行き、校長に直談判し、お願いし、入学を許可してもらったとのこと。
今思えば、ありがたい判断だった。
入学してからも、低学年の内は休みがち。
ずっと病弱な私を心配し続けてくれた。
学校からの帰りが、10分も遅れれば、家でやきもきしていたと母は言う。
待ちきれなくて、スクーターで迎えに来てくれたことも何回もある。
親の心子知らずで、
高学年になると、友だちとの寄り道を楽しみながら帰っていた私にとっては、
父のスクーターでのお迎えは、有難迷惑。
友だちの手前、かっこ悪いし。
通学路でない道を帰ったり、
わざと物陰に隠れてしまったこともあった。
親不孝だね、私。
父は、そんな私の裏切り行為を叱りもせず、
無事に帰ったことで、ほっとしていたようだった。
わがままでおバカな私は、そういう父の行動のありがたさが、
ほんとうにはわかっていなかった。
どこの父親もこんなのかなあ、程度にしか思っていなかった。
生活はかつかつだったと思う。
察するに、私の病気のせいで、お金なかったみたいだもん。
でも、学用品はよいものを用意してくれた。
習い事もさせてくれた。
本もいっぱい買ってくれた。
毎月買ってきてくれる、「小学〇年生」は楽しみだった。
そうそう、「週刊マーガレット」の創刊号もお土産だった。
おもちゃは、近所の友達と比べて、明らかに少なかったな。
算数が好きだった私に、当時には珍しいことに、算数の参考書なども用意してくれた。
私は、新しい算数の教科書を学校からもらうと、さっさと一気に、
教科書の問題を自分で進めてしまったので、
解く問題がなくなってしまったから。(ちょっと自慢)
長生きできないかも、って医者に言われてしまっていたらしく、
心配で心配で仕方なかったのだろう。
大事にされていたんだろうと思う。
母が夕食の準備をしている時間に、近所のお寺さんに自転車で連れて行ってくれた。
そこで、鳩に餌をやり、お団子を食べ、というささやかな楽しみ。
今も、そのお寺さんに行くと、境内の様子は変わってしまったけれど、
父との思い出をなつかしく思う。
今日は父の日。
1日、父のことを思い出して過ごそう。
お仏壇の父に話しかけるのも照れくさいので、
ここにおしゃべりしました。
きりがないので、このへんで。
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