昭和50年の夏の北海道旅行。1。の続きです。
おばちゃんの、想い出話につき合ってくださる方は、お読みください。
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8:05のフェリー。11:20に礼文島の船泊に着いた。
フェリー代。1190円。
礼文島観光をし、ユースに泊まる。
礼文島船泊YH。
礼文島が気に入って、
次の日の予定を変えてもう一泊礼文島に泊まることにしたんだった。
礼文島2泊目は、当時(今もかな)有名だった、桃岩荘YH。
YHの裏から、散歩に連れて行ってもらった。
散歩?いや、ほとんど崖上りだった。
島の自然は素晴らしく、このYHに居ついてしまう人がいるのもうなずけた。
礼文島をぐぐっと歩くコースには時間の関係で参加できなかった。
半分のコースを歩いた。楽しかったが、もっと歩きたかった。
夜のミーティングに、私たち二人は、びっくりしたものだった。
にぎやかなパワフルなおかしなミーティング。
歌も覚えたな。多分、まだ歌える。
強烈な印象を残したこのYH。
島から出る船に、大騒ぎしてサヨナラの儀式をしてくれた。
後日、大人になってから行った礼文島で、
このYHのサヨナラの儀式を見た。
ああ、まだ続いているんだなあと、懐かしく感じた。
稚内に戻り、旭川へ。旭川泊。(旭川YH)
木彫りの様子を見せてくれて、いろいろな話を聞かせてくれたことを覚えている。
旭川から層雲峡へ。層雲峡泊。(YH層雲峡)
自転車で、層雲峡を走った。元気だったなあ。
ソフトクリーム、50円だって。
層雲峡から網走へ。網走泊。(原生花園YH)
原生花園は、盛りを過ぎていた。残念。
網走から斜里へ。斜里泊。(知床YH)
漁船に乗せてもらった。
なんで、漁船?観光漁船?観光船、なかったのかな。
釣りをして、ふぐばかり釣れた。
そのふぐを漁師さんが空に投げると、
海鳥がぱくってキャッチしていたような気がする。
そんなこと、したのかな。夢かな。
斜里から川湯へ。屈斜路湖。摩周湖。川湯泊。(湯の閣ホテル・学生会館)
川湯から阿寒湖へ。阿寒湖泊。(丸八旅館)
阿寒湖、足寄、帯広、広尾、襟裳。襟裳泊。(えりも岬YH)
ここでも海岸線をサイクリングしたなあ。
朝、早起きして朝陽を待ったのに、霧の中だった。
ここのYHも、なんだか元気だった。
支笏湖でボートに乗って、落ちそうで怖かった。
オコタンペ湖きれいだった。ものすごく、きれいだった。
支笏湖から、苫小牧、函館へ。函館泊。(北星荘ホステル)
夜景を見に行って、帰りが遅くなり、YHの大広間で、寝るところがなくて、
少しずつつめてもらって布団を敷いた。迷惑かけました。
函館、青森、(車中泊)上野。
こんなにのんびりと2週間もうろうろできたって、
ありがたいことだと思う。
2週間で、旅費、宿泊費入れて、総額67090円。
嘘みたいな料金だ。
以上、長々と、昔の旅行を思い出してのおしゃべりでした。
もう、こんな旅行はできないんだろうなあ。
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