小学生の頃のことです。
新学期になると新しい教科書が来ます。
家に持ち帰ると、父がカバーを付けてくれました。
カレンダーの裏の白い面を表にして、教科書のカバーにしてくれました。
そして、筆で、教科名と私の名前を書いてくれました。
私が小学生のころの教科書は、今の表面にビニル加工してあるのとは違って、
水に濡れたらすぐにシミができてしまうような、あまりよくない質の紙でした。
小さい頃から粗雑な子だったので、本を大切にする父は、私の教科書が心配だったのでしょう。
ていねいに折ってカバーをかけてくれるのを見て、
教科書を大切にしようって子供心に思いました。
クラスの中には、当時出始めたビニルカバーを買ってつけている子もいました。
うちは、しまり屋だったので、カレンダーの裏紙でした。
そうして育ったので、
中学生になって、文庫本を読むようになると、
自分で雑誌やカレンダーの写真を使って、文庫本カバーを作っていました。
「林檎の樹」には、外国の田園風景のカバーを。
「みずうみ」には、きれいな湖のカバーを。
そんな風に、文庫本の表紙を飾って、大切にしていました。
大学生になり、いろいろな本屋さんに行くようになると、
それぞれのお店の個性的なカバーを集めるのも楽しくなり、
神田のように本屋さんが並んでいるところでは、
わざわざ違うお店で本を買ったりもしていました。
あのころ、月替わりにカバーの変わる店もあったような気がします。
今は、どうなのかなあ。
旅行に行った先で、記念に文庫本を買ったりもしました。
そんな風に、文庫本にカバーをかけて楽しんでいました。
当時の文庫本のもともとの表紙は、地味なものが多かったように思います。
だから、カバーで楽しんでいたのかもしれません。
ところが、今の文庫本の表紙には、様々なものがあります。
イラストが特徴的なもの、レイアウトを工夫しているもの。
岩波文庫のそっけない表紙がいちばん好きだった私は、
どんどん変わってゆく文庫本の表紙に、
なんだか、寂しさも感じました。
文庫本も、ジャケ買いするよ、って若い友人に言われたときは、
びっくりしたものです。
え、作者で買うんじゃないの、本は。
はじめての作者は、中身をぱらぱら読んで買うんじゃないの?
表紙のイラストで決めて買う人、いるんだなあ。
と知ったときは、新鮮でした。
でも、そういえば、単行本は、素敵な表紙だと手に取ることもあったものなあ。
家が狭いので、キャパオーバーになったときから、
文庫本も、全ては、とっておけなくなりました。
今、文庫本は、300冊くらいしか手元に置いておけません。
それらの文庫本のほとんどに、同じ色のカバーが掛けてあります。
クリーム色の用紙に、書名だけを印刷したシンプルなもの。
雑多な色が目に飛び込んでこない、落ち着いた書棚です。
せっかくの、たくさん工夫された表紙は、隠されています。
なんだか、こうして考えると、
文庫本のカバーの楽しみ方に変遷があったけれど、
結局、小学生の頃の教科書のカバーと同じ感覚に戻ってるような気がして。
小さい頃の習慣が、心のどこかに残っていたんだなあって。
文庫本の書棚を見て、父のしてくれたことを思い出しました。
「もうすぐ、父の日」、っていう文言を見かけたからかな。
お帰りに、応援のクリックをしていただけると、励みになります。
ありがとうございました。