茶の間でおしゃべり

日々あれこれ思うことを書いています。気ままなおしゃべりを聞いてください。体調不良のときもあるけれど、それなりに自分のペースで生活したいと思っています。

◆文庫本のカバーと、父の想い出

 小学生の頃のことです。

新学期になると新しい教科書が来ます。

家に持ち帰ると、父がカバーを付けてくれました。

カレンダーの裏の白い面を表にして、教科書のカバーにしてくれました。

そして、筆で、教科名と私の名前を書いてくれました。

私が小学生のころの教科書は、今の表面にビニル加工してあるのとは違って、

水に濡れたらすぐにシミができてしまうような、あまりよくない質の紙でした。

小さい頃から粗雑な子だったので、本を大切にする父は、私の教科書が心配だったのでしょう。

ていねいに折ってカバーをかけてくれるのを見て、

教科書を大切にしようって子供心に思いました。

クラスの中には、当時出始めたビニルカバーを買ってつけている子もいました。

うちは、しまり屋だったので、カレンダーの裏紙でした。

 

そうして育ったので、

中学生になって、文庫本を読むようになると、

自分で雑誌やカレンダーの写真を使って、文庫本カバーを作っていました。

「林檎の樹」には、外国の田園風景のカバーを。

「みずうみ」には、きれいな湖のカバーを。

そんな風に、文庫本の表紙を飾って、大切にしていました。

 

大学生になり、いろいろな本屋さんに行くようになると、

それぞれのお店の個性的なカバーを集めるのも楽しくなり、

神田のように本屋さんが並んでいるところでは、

わざわざ違うお店で本を買ったりもしていました。

あのころ、月替わりにカバーの変わる店もあったような気がします。

今は、どうなのかなあ。

旅行に行った先で、記念に文庫本を買ったりもしました。

 

そんな風に、文庫本にカバーをかけて楽しんでいました。

当時の文庫本のもともとの表紙は、地味なものが多かったように思います。

だから、カバーで楽しんでいたのかもしれません。

 

ところが、今の文庫本の表紙には、様々なものがあります。

イラストが特徴的なもの、レイアウトを工夫しているもの。

岩波文庫のそっけない表紙がいちばん好きだった私は、

どんどん変わってゆく文庫本の表紙に、

なんだか、寂しさも感じました。

 

文庫本も、ジャケ買いするよ、って若い友人に言われたときは、

びっくりしたものです。

え、作者で買うんじゃないの、本は。

はじめての作者は、中身をぱらぱら読んで買うんじゃないの?

表紙のイラストで決めて買う人、いるんだなあ。

と知ったときは、新鮮でした。

 

でも、そういえば、単行本は、素敵な表紙だと手に取ることもあったものなあ。

 

家が狭いので、キャパオーバーになったときから、

文庫本も、全ては、とっておけなくなりました。

今、文庫本は、300冊くらいしか手元に置いておけません。

それらの文庫本のほとんどに、同じ色のカバーが掛けてあります。

クリーム色の用紙に、書名だけを印刷したシンプルなもの。

雑多な色が目に飛び込んでこない、落ち着いた書棚です。

せっかくの、たくさん工夫された表紙は、隠されています。

 

なんだか、こうして考えると、

文庫本のカバーの楽しみ方に変遷があったけれど、

結局、小学生の頃の教科書のカバーと同じ感覚に戻ってるような気がして。

小さい頃の習慣が、心のどこかに残っていたんだなあって。

 

文庫本の書棚を見て、父のしてくれたことを思い出しました。

 

「もうすぐ、父の日」、っていう文言を見かけたからかな。

 

 

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