茶の間でおしゃべり

日々あれこれ思うことを書いています。気ままなおしゃべりを聞いてください。体調不良のときもあるけれど、それなりに自分のペースで生活したいと思っています。

「雑用という仕事はありません」と新人のときに言われた後遺症。

今は昔。

まだ、お肌がぴちぴち、やる気満々、怖いもの知らず。

そして、生意気、世間知らず。

そんな私が、仕事をはじめていくらかたったころ、

「どうだい、仕事の感触は」

と指導担当者に問われ、

「本来の仕事以外に雑用が多いことにびっくりしました」

と正直に答えてしまった私に、

指導担当者は言った。

「仕事に、雑用なんて、ないんだよ。すべて、大事な仕事だ。そう思って働きなさい。

ひとつひとつの用事に、みんな、意味があって、それをしなければ仕事は進まない。」

蛍光灯を取り換えるのも仕事。

汚れに気がついたらささっと簡単に掃除するのも仕事。

コピーをきれいに整えて資料を準備するのも仕事。

そういうふうに言われ、そうなのかと思い、

それは、気働きということかなと思い、

雨の日に傘立てがとっちらかっていたら整頓し、

トイレのペーパーの切れそうなときには、補充し。

お昼の注文のどんぶりを机に置くときに、どんぶりの向きを考えたりする。

 

若いからそうするのではなくて、気が付いた誰もがそうする。

そういう職場だった。

 

以来、「雑用」という言葉を、職場でどんな時に使っていいのか、

頭の中で?が浮かぶようになってしまった。

そして、仕事を辞めて家にいる今でもそれは続いていて、

なんとなく、いろいろなことをするのに、

「雑用」って呼んじゃだめなのかいな?と心の中で思いながら、

「雑用」をしている。

ひとつひとつの作業に名前つけるのが面倒だから。

 

でも、ひとつひとつの作業に名前をつけて行動する方が、

きっと丁寧にするんだろうな。

こころの込め方が違って、結局自分のためになるんだろうな。

「雑用」ってひとまとめにしない方が、作業に意味が生まれそうだ。

自分を育てるってそういうことなんだろうな。

 

 

「今日は、机廻りの雑用をすませる。」

と言うのと、

「今日は医療補助の請求書をまとめたり、ためてしまった家計簿つけたり、机の上の雑誌の整頓したりする。」

と言うのでは、

きっと後者の言い方で行動した方が、

きちんとできそうな気がするし、

目的意識も持てそうだし、

達成感もありそう。

 

‥‥‥相変わらず、私、変なこと言ってるのかな。

   考えていることを、うまく言葉で言い表せないのです。

   「書くこと」の修行中です。‥‥‥

 

でも、まあ、とにかく、

今日の午前中、私は、

「医療補助の請求書をまとめ、家計簿に記入し、散らかった雑誌の始末をします。」

 

 

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ありがとうございました。