午前中に書いた記事には、父は、完璧に親バカだったことを書いた。
今度は、仕事の話。
父は、学歴はなかった。
戦争に行くぎりぎりの世代。
田舎の子だくさんで、上の学校には行けなかった。
しかし、頭はよかったらしい。
負けず嫌いの父は、自力で勉強していたようだ。
昭和ヒトケタで、学歴はなかったが、自分で英語の学習までしていた。
英語の必要な職場じゃないのに。
読書と、釣りと、パチンコと、日本酒と、車が好きだった。
会社では、努力のおかげで、順調に上に行ったようだった。
仕事にも同僚にも恵まれていたようで、
よく同僚や若い方が飲みに来て、父のことを私に話してくれていた。
上の人にもかわいがられていたようだ。
土日休みじゃなかったので、あまりお出かけもなかった。
仕事に対する誇りを持ち、真面目に働いていた。
家のことより仕事が優先になり、寂しい思いもした。
いてほしい時に、いない。学校行事も来られない。
当時の、「働くお父さん」は、ほとんどみんなそうだったのだろう。
私自身の仕事に対する姿勢は、
きっと幼い頃に見たり聞いたりした父の仕事に対する姿勢の影響が大きかったのだと思う。
父が亡くなった時、お通夜に来てくれた職場の先輩に、
「お父さんて、どういう人だったの」
と聞かれ、答えたら、
「じゃあ、あなたと、そっくりじゃない」
って言われて、驚いた。
そうか、私は、父に似ているのかあ。
って、そのときはじめて気が付いた。
知らないうちに、親の影響って、ものすごく受けているんだ、
という当たり前のことを、再確認したのだった。
私が、就職したときも、私がなりたい仕事につけたことを
ものすごく喜んでくれた。
2人で、父の行きつけの焼き鳥屋さんに行き、乾杯した。
仕事について、心構えとかやるべきこととかそういうことを、
何も話してくれはしなかった。
自分の働き方を見せてくれていただけだった。
無茶に頑張る私を、見守ってくれていた。
ありがたいことだと思う。
今、私の部屋にある机は、父が結婚したときに購入したもの。
高校受験も大学受験も、この机でがんばった。
先日のコーヒーカップと同様、この机も私より年上である。
父と母の結婚したときの家具で残っているのは、
この机と、母のお針箱。
そのほかの家具は、家の建て替え時に、廃棄だった。
この2つの家具は、きっと、私が、死ぬまで使うだろう。
小学校に入学した時に買ってくれた私の机は、とっくになくなっているのに、
この古い机は残っている。
お仏壇にいるだけでなく、ここにも父がいる。
父の日だから、おまけして、ちょっと美化して書いてしまったな、父のこと。
ほんとは、酒好きのただのおじさんだったな。
さ、母がお風呂から出たので、入ろうっと。
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ありがとうございました。