昨年旅立った母は、台所は自分の城だと思っていたと思う。
いや、城じゃなくて陣地か?
とにかく、台所は譲らない、という気概がありました。
ここ数年は、毎年のようにどこかが悪くなり、年一回は入院治療。
そのたびに、もう年も年だから退院するころにはあまり歩けなくなるかも、とか、
認知機能が危なくなるかも、
とかお医者さんや看護師さんに言われていました。
しかし、母は、見事ないじっぱりでしたので、5回の退院後、
いつもお医者さんがびっくりするくらいちゃんと歩けるように回復していました。
退院してくると、すぐに台所に立つ毎日。
まったく私をあてにしないのです。
「自分でご飯作れなくなるのは、絶対いやっ」とか言って。
「人の世話になるのは、絶対いやっ」
「全部、自分のことは自分でする」なんて言って。
メニューは狭まったものの、亡くなる4か月前までは、夕ご飯は自分で作っていました。
(朝は私、昼はどちらかが。)
自分が作らなくなっても、毎日お茶をいれ、たまにリンゴをむいたりもしてくれて。
だから、台所の不用品を処分するなんてことは、させてもらえませんでした。
私も、お城に攻め込むことはできませんでしたし、しちゃいけないとも思っていたし。
拭き掃除や換気扇掃除、冷蔵庫掃除、床にワックス、などはさせてくれたけれど、
棚の中は、手をつけさせてくれませんでした。
山ほどの食器、整理させてくれませんでした。
母が亡くなって、一周忌も過ぎました。
もう、片づけてもいいよね。
もう、捨てても、いいよね。
私一人が使うだけ残せばいいよね。
私の後始末をしてくれる人はいないんだから、
私ができる範囲で、片づけておかなくちゃいけないんだから。
すぐに、巷で言う大規模片付け限界年齢の70歳になっちゃうし。
食器や鍋など、山ほどあります。
人寄せが好きな父だったからねえ。
もてなすの好きな母だったからねえ。
今まで何度か、箱から出してもいない頂き物の食器や鍋類は、叔母たちにもっていってもらっているのに、昔使った食器類は処分したがらなかった母。
思い出が詰まってるからね。分かる。よく分かる。
頑張って働いて買い集めてたくさんのお客様をもてなした食器だものね。
ある意味、人生語ってるでしょ。
昨日は、急に気が向いたので、引き出し4つだけお片付けしました。
使わなくなった箸、なんでとってあるんだろう。何膳もある。
使わなくなったお玉やらおしゃもじ、その他の調理器具。
これらは、どうして取っておきたがるのか、わからない。
使用済みの不要品をたくさん捨てて、引き出しの中はすっきり。
とってもいい気分です。
ちょっと調子に乗って、上の棚も一か所片づけました。
大量の、密閉容器。
使ってないので、薄汚れている。
蓋と身が合ってないし。
捨てるよ母さん、私のこれからの生活のために、捨てますよ。
そっちで文句言っても聞こえないもんね~~~~。
結構な量を廃棄。
棚も一か所だけだけど、すっきりしました。
さて、今度、私がやる気を出すのはいつかしら。
あの大量の食器を片付けるには、相当な体力気力が必要だなあ~~~~。
使わない鍋もたくさんあるんですよね。
まだ使えば使える物の処分って、心が痛むんだよなあ、心が疲れるんだよなあ。
母さんが大切にしまいこんでいたものだし。
いつ、やる気になるかしら。
山下さん、来てくれないかしら。
ときめきさん、来てくれないかしら。
来てくれないよね、
自分でやるしかないか。
でも、今すぐは絶対にないと思う、私の性格だと。
もったいない、という言葉がこの世になければ、もう少し割りきれるのにな。
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