新聞の人生相談のコーナーを切り抜いて、手帳に貼った。
「介護はどんなに尽くしても、『もっとしてあげられることがあったのでは?』との思いが残ります。それは後悔ではなく、それだけ夫を思った証なのだということも、今、お伝えしておきたいと思います。」
私の場合、夫→母となるわけだが。
この一年、ずっと心の奥にこの思いがあった。
もっとしてあげられることがあった。
もっとこうすべきだった。
あれでよかったのだろうか。
母は、どんな気持ちで逝ったのだろうか。
私のした看取りは、あれでよかったのだろうか。
いくら、自分の機嫌をとって気持ちを明るく保とうとしても、
そして実際気持ちが元気になってきたのではと、思い込んでいても、
やはり、この思いは、ずっとあったんだ。
近しい人を見送るということがここ数年続いている。
3年前に、大学時代からの友人。
一人暮らしだった彼女を病院に何回か見舞いに行った。
買い物や郵便物投函のお手伝いや、車いすで病院周りを少し散歩した。
最後に見舞った夜に一人で逝ってしまった。
入院してそんなにすぐに逝ってしまうなら、もっと頻繁に見舞いに行けばよかったという思いが残る。
2年前に高校のときからの友人。
年に数回会うことで心の洗濯ができる友人。
彼女も一人暮らしだった。
会いたいなあと思うタイミングが合うので、互いにまめに連絡を取る間柄ではなかった。
コロナで知らせがなくて亡くなったことをずいぶんあとで知った。
感性がとても似ている友人だった。
そろそろ会いたいなあと思っていたら、知らせが入ったのだった。
そして、去年、母親。
いなくなったことを、まだ、受け入れられていない。
鬱っぽくなったって、心が弱いわけではなくて、それは、あたりまえのことかも。
なんだか、天気のせいかな、今日はこんなこと書いている。
元気じゃないときは、その気持ちに任せるのがよし。
無理に元気なふりする必要はないね。
一人暮らしなんだもの、自由気ままに。
自分のありのままの気分に浸っていていいんだ。
たまには、こんな日も、ある。
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