茶の間でおしゃべり

日々あれこれ思うことを書いています。気ままなおしゃべりを聞いてください。体調不良のときもあるけれど、それなりに自分のペースで生活したいと思っています。

10人分の食器類、いらないよなあ。

おはようございます。

 

夜寝る時刻は遅れてしまうこともありますが、朝起きる時刻は、結構ちゃんと継続できています。

 

朝の空気が気持ちよく、朝っていいなあ、なんて思って一日をスタートしています。

 

 

 

母の部屋の大掃除の後、台所の片づけをしました。

 

例によって、使っていない大量の食器類。

始末させてもらえません。

 

亡くなった父は、人を家に呼ぶのが好きでした。

会社の同僚の方々が、よく家に来て飲んでいました。

普通のサラリーマンなのに、娘の私は、何人も父の勤めている会社のお友達の顔と名前を知っているという、へんちくりんな家庭でした。

母は、料理上手でしたし、父も友達多いタイプでしたので、私は、かなり大きくなるまで、家で宴会するみたいなことが、普通のことだと思っていました。

人寄せってあんまりしない、会社の人飲みに来ないよ、と知ったのは、高校生になってからでした。

そうなのか、普通じゃなかったのか。

小学生のころから、酔っ払いおじさんを見てそだちました。

酔ってみっともなくなるおじさんや、酔って明るく楽しくなるおじさん、

酔ってへんちくりんになるおじさん、酔って寝ちゃうおじさん。

そんなおじさんたちに、いやな顔せずに、料理をふるまう母。

私は、そんなことできないな、家にお客呼ぶのって、面倒だなあ、なんて思っていました。

たくさん飲んでも、ちっとも乱れない父は、見ていても安心できていました。

 

そんな、我が家の客寄せ歴史を見てきた食器たち。

ほとんど、10組セットです。

大皿も、カレー皿も、小皿も、小鉢も、湯飲みも、蕎麦椀も。

もう~~~~~~~。

お店じゃないんだからっ。

20年は使っていない。

これからも、絶対使わない。

母と二人分あればいいの。

でも、処分させてもらえない。

 

 

退院後、台所を私に明け渡した感のある母。

台所だけは譲らない、夕飯だけは作る、

とか言って、ずっと台所に立ち続けてきた母も、今現在は、立ち仕事があまりできません。

それでも、台所は母の城。

食器類も母の思い出のモノ。

がらくたなんかじゃないんです。

 

処分してもよいと許可が出たのは、たったの3種類の食器。

10枚×3種類。

 

処分しないで、食器棚を使いやすくしたい。

 

そういうわけで、台所の食器棚とシンク下の物入れ部分の大掃除。

 

絶対使わない食器類は、奥の奥や、下のほうに押し込み、

これから日常使う予定の食器類を、目線の高さの棚に配置。

 

これしかできなかったけれど、まあまあ、使い勝手はよくなった。

 

母も、一見して片付いたように見える台所をみて、喜んでくれました。

とっちらかっている台所は、母なりに、気にしていたようでした。

 

お疲れさまでした、私。

 

昨日の午後は、さすがに疲れが出て、気が付いたら昼寝していました。

 

今日も疲れが、続いてる~~~。

 

一日じゃ、回復しないのね、やっぱり。

 

 

母に、言いました。

 

「体調戻ったら、また、好きな料理たくさんしてよね。

 私は、台所仕事好きじゃないしできないんだから」

「気が向いたとき、夕飯、作ってくれて、いいんだからね。

 そのほうが、ありがたいんだから」

 

どこまでも、甘えている、怠け者の私です。

 

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